残念シリーズ 「わたしを見て見て」は嫌われる

私に注目

人間関係残念シリーズ、今回は、「わたしを見て見て」です。皆さんの周囲にも思い当たる人がいることでしょう。そのアピールの仕方は会話の独占や自慢話、服装、態度などに現れるものです。

そのような「私を見て見て」とアピールしてくる人からどのような印象を受けるでしょうか?大抵の場合、そのような人を見ていると、情緒不安定な人か、自分のことに夢中になっている人、あるいはその両方という印象を受けるでしょう。

また、他人の注意が引けるなら何でもいい、どんなことでもすると必死になっている人、という印象も受けるかもしれません。もしかしたら、自分に自信がないために他人の注目を浴びることでしか、自分を保てないのかもしれません。

なぜ不快?

「私を見て見て」アピールしてくる人に対して、私たちはなぜ不快に思うのでしょうか。

人間というのは自分にとって損得を強く意識する生き物です。「私を見て見て」とアピールしてきた人に対して、わざわざ時間を割いて、他の事柄に向けられる意識を一時中断してまでその人に注目したとき、何の「得」があるのか無意識に考えます。

たいていは何の得もありません。

必死に「見て見て」というから、わざわざ見たのに、その内容といえば、注意を向けるだけの価値のないものであることがほとんどです。時間の無駄なのです。おそらく、次の機会に再び「見て見て」アピールをされても「もう見たくない」と思うでしょう。

そうなると、その人との溝は深まるばかりです。やがて一緒にいるのも嫌になります。

注目は褒められることと似ている

基本的に他人からの注目は自分から求めるものではありません。この点で、注目は褒められることと似ています。日本には「自画自賛」という言葉があります。これは、自分で描いた絵に自分で賞賛を与えるという行為に由来するもので、自分で自分を褒めるという意味があります。

どちらかというと、この「自画自賛」という言葉は、マイナスのイメージを持っています。なぜなら、褒められることは、自分発信ではなく、他人発信が本来の形のものだからです。注目も同様で、自分から求めるものではありません。他人発信で受けるのが自然な形なのです。

ですから、「わたしを見て見て」アピールしている人は気付かずに、人間関係にとってマイナスの行為をしているのです。それは相手にとって不快であり、嫌われてしまう残念な行動なのです。

そのような人が周囲にいれば、反面教師として学び、知らない間に自分自身がそのような態度をとっていないか時々振り返ってみるのはいいことです。くれぐれも「私を見て見て」には注意しましょう。